幻想メモリアル2

書いたやつ:周摩


「本当にあれで良かったのかい?」

 遠ざかるノメァ・ピドュポエガの背を眺めながら、観測者は問う。
 ポラリス・エイムズはそちらを見ようともしない。

「余計なお世話だよ」

 それだけ言って、ポラリスは再び口を閉ざす。

 観測者はいかにも参りましたとばかりに肩を竦めると、背負っていた荷物袋から南瓜を取り出し、地面に置いた。
 一言二言の呪文を紡ぎ、かぼちゃを叩く。
 すると瞬時にかぼちゃは巨大化し、四つの車輪のついた馬車へと姿を変えた。

 いわゆる一般的な馬車の造形とは(かぼちゃがモチーフであることを除けば)さほど変わりなかったが、一番の特異点はやはり馬だろう。
 馬車の前方に繋がれている馬は生身のそれではなかった。
 青白い炎のような二つのアストラル体が辛うじて馬のかたちを模している。

「いわゆるかぼちゃの馬車だ、乗りなよ『シンデレラ』」

 軽い口調で促すと、観測者は馬車へと乗り込んだ。
 御者は必要ないのだろうか、と疑問に感じつつもポラリスは後を追う。

 内装は華美すぎない程度に整っているものの、やはり狭い。
 この観測者の隣に座るくらいなら向かい合うほうがまだマシだった。

「では出発するとしようか」

 観測者が指を鳴らすと、青白い炎が不気味ないななきを発し、二頭の馬もどきは駆け出した。
 比喩ではなく直喩で馬もどきは駆けている。
 およそ馬車の常識では考えられない速度に、ポラリスは奇妙な浮遊感を覚える。

 形こそは馬車だが、もはや射出術式のような感覚である。
 というよりはまさしく射出である。
 かぼちゃの馬車は速度を欠片も緩めずに崖へと駆け続け、

「……!」

 跳んだ。
 それだけではない、馬もどきは空を駆けている。
 蹄が宙を叩くたびに青白い炎が魔法陣を描き、魔力の足場が生み出されている。

「驚いたかい? こんな旧式の移動術式で申し訳ないけど、乗り心地はなかなかだろう?」

 ポラリスはこれも無視した。
 というよりもそれどころではなかった。
 この馬車の目的地は、どうみても天空で最も輝くところへ向かっている。

「月……」

「うん、目的地は月。正確には満月の光を魔力源とした円形を魔法陣にすることで、改めて異世界へ転移するのさ」

 そんな説明もそこそこに、馬車は見る見る高みへ昇っていく。
 やがて月の輪郭をなぞるように青白い炎の魔法陣が展開され、かぼちゃの馬車はそれ目掛けて全速力で駆けていった。

「ッ……!」

 魔法陣を通り抜けた途端に、空気が変わった。
 たとえば暖炉で暖まった部屋から一気にドアを開けて外に出たような感覚。
 しかし変わったのは温度ではなく、これはまさしく世界が変わったというやつだろう。

 そこは真っ白な空間だった。
 どこまでも平面的であり、壁や天井との距離感が全く掴めない。
 馬車が立っていられることを考えると、どうやら地面だけは確かにあるらしい。

「ここは『狭間の世界』だ。さっきの世界と君が元いた世界との境界だね」

 観測者が指を鳴らすと、かぼちゃの馬車は青白い炎に包まれて消えてなくなってしまった。
 元のかぼちゃにすら戻らない。
 完全に使い捨ての術式だったのだろう。

 観測者は新たに荷物袋から魔具を取り出し、地面へ並べていく。
 大量の魔力結晶に儀式用の杖、魔法陣の描かれたスクロールも三枚ほど存在する。
 小規模な街くらいなら滅ぼせそうなほどの準備である。

「それじゃ、新たに世界のゲートを開くから少し待ってて」

「……いや、」

 ポラリスはストレッチするように足首をぐりぐり回しつつ、観測者をまっすぐ見据えた。

「――もう茶番は終わりでいいんだよ。ユアウェイスティンタイム」

 時間の無駄。
 そうはっきりと告げて、ポラリスは日本刀を抜いた。

「……一体どうしたって言うんだい?」

「説明が必要なの? こっちはもう全部お見通しなんだよ?」

 ふと、観測者の眉が平坦になった。
 ポラリスの言葉と態度に反応したとみて間違いないだろう。
 それでも観測者は言葉を紡ごうとしない。

「そこに並べ立てた魔具はゲートを開くためのものじゃない。ただ単純に、わたしを殺すためのものでしょ」

「何を根拠に」

「わたしをただのフーリッシュガールだと思ってる? 魔力を感知するくらいならトゥーイーズィ、解析できるほどじゃないけどね」

 ポラリスは一端の魔術師が舌を巻くほどの魔力量を誇るものの、術式を理解する頭がないので魔術が使えない。
 だからといってまるきり何も分からない訳では決してないのだ。
 あれらの並べられた魔具の内、魔力結晶以外のほとんどが攻撃術式または妨害術式を備えているのだと見抜くくらいは朝飯前である。

「さっきの馬車、というか『青白い馬』の術式だって元々は移動術式に収まるようなものじゃなかった。
 あれは相手を轢き殺すためのチャリオッツに用いるはずの術式でしょ?」

「旧式しかないと言っただろう? 手持ちがなくてね、急ごしらえだったんだ」

「まだあるよ。どうしてノメァおねーちゃんとわざわざ接触したのか、その理由が不明瞭すぎる」

「……親切心さ。何も知らずに仲のいい君と離れ離れになるなんてかわいそうじゃないか」

「ノメァおねーちゃんもわたしの居た世界の住人なのに?」

「………………」

 観測者は言葉を詰まらせた。
 一瞬後にはハッと我に返った風で、取り繕うように口を開く。

「彼女の担当は僕じゃないからね、知らなかったんだ」

 ポラリスには確認の取りようがない回答である。

「何だか疑心暗鬼になっているみたいだけど」

 やれやれと肩を竦めて、観測者は再び指を鳴らした。
 するとポラリスの眼前の空間が四角く切り取られ、灰色に染まる。

「君のパパやママに会ってみたらどうだい?」

「な……!?」

 ざり、ざり、という不快なノイズがしばらく続いたと思うと、唐突にその四角の空間に二人の人間が映った。
 それは二人というには適切でなく、一人と半分と表現するのが正確だったか。

「――ポラリス」

 それは懐かしい声だった。
 もう何年も聞いていなかったような、そんな感覚。

「パパ……、ママ……?」

「そうだポラリス……、心配したぞ」

 それは間違いなくヴァンパイアハーフである父の声だった。
 温かくて力強くて、勇気を与えてくれる、そんな声。

「ポーラちゃん、無事だったのね……!」

 それも間違いなく人間である母の声だ。
 優しくて柔らかくて、安心させてくれる、そんな声。

「パパ、ママ……!」

 不覚にも、涙が出た。
 ノメァを姉と慕って甘えることで寂しさを紛らわせていたとしても、彼女だけでは決して癒せない傷はある。
 そこを、ピンポイントで抉られた。

「わたし……、わたしは……」

 ポラリスは完全に言葉を詰まらせてしまった。
 沈黙が流れる中、切り取られた空間の向こうで二人は微笑み、

「いいんだ、ポラリス。何も言わなくていい。お前の好きなようにやりなさい」

「ポーラちゃん。例え私たちの世界に戻るのが遅くなったとしても、あなたはあなたの道を進むのですよ」

 そう、後押ししてくれた。
 仮に観測者がポラリスを貶めるために張った罠だとしても出来すぎている。
 それは紛れもなく父や母の、生きた言葉であった。

「……ありがとう。パパ、ママ。わたし、助けられちゃったね」

 ポラリスは握りっぱなしだった日本刀を構え、容赦なくその四角の空間を横一文字に切り裂いた。
 紫電が弾けたような音と共に、空間自体が真っ黒な穴となって萎んでいく。

「わたしの心を折ろうとしたの? 残念だったね」

「何が気に入らなかったんだい? 彼らは本物だったのに」

「確かにね、だけど本物だからこそ間違いなんだよ。
 もしわたしが『手違い』でこの世界に転移させられていたとパパとママが知っていたら。

 ――おまえはもうこの世に居ないはずなんだよ、観測者」

 もしも観測者の杜撰な管理の仕方を父が知っていたとしたら。
 ヴァンパイアハーフでありながら正真正銘の吸血鬼を圧倒するほどの力を持つ父が知っていたとしたら。
 観測者について情報を集め、追跡し、息の根を止めるくらい造作もなかったはずだ。
 ポラリスを独りにして、孤独に咽び泣かせることはなかったはずだ。

「――へぇ?」

 明らかに観測者の表情が変わった。
 その表情が何なのか、ポラリスにはもう分かっている。

 敵意。
 悪意。
 そして、殺意。

「だからといって、君はもう逃げられないんだよ?」

「そんなもの――」

 何故観測者からそれを向けられているのか、ポラリスは何とはなしに気が付いていた。
 おそらくは父の代の因縁、そんなところだろう。
 理由なんてどうでもいい。

 ただ目の前の危険な男から、大事な人たちを守れればそれでよかった。

「――試してみなくちゃ分からないでしょ。一〇〇〇〇回くらい刺してもダメだったら別の手を考えるよ」

 ポラリスはただまっすぐに、観測者を見据えた。


 ノメァ・ピドュポエガは来た道を引き返していた。
 往路を同道していたポラリス・エイムズは、もう隣にいない。

 ついさっき、ポラリスと別れた場所から青白い炎を纏った馬車が月を目指して駆けていった。
 観測者とポラリスは、おそらくはあれに乗っている。
 もう、手の届かないところへと行ってしまった。

『本当にあれで良かったのか?』

 そんな声が聞こえてきたと思ったらノメァは足元に妙な感触を覚えた。
 それは地面に対して非常に柔らかく、そして非常に摩擦係数が小さかったようで。
 要は何かを踏んづけて転んでしまったのだ。

「あだァーーー!!」

 思い切り打った尻を擦りながら、その元凶たる声の主へと目を向けた。
 その黄色い体色に流線型のフォルム、幾本かの足が生えたような外見はまるでバナナの皮である。
 というかバナナの皮だ、どう見てもバナナの皮そのものだ。

「もう、何よ盛皮君……」

 ノメァは尻餅をついて座り込んだ姿勢のまま、バナナの皮こと盛皮君へと話しかけている。
 一見異様な光景ではあるが、ノメァもとい『味噌煮込みうどん』では割と日常風景である。

 不幸少女ノメァの足元に頻繁に現れては足を滑らせている盛皮君は、ノメァとは切っても切れない関係なのだ。
 一種の呪いと化しているのだが、ノメァ本人が望んで一緒に居たいと願っているのだから切れようはずがない。
 そんな盛皮君は時としてノメァの保護者のように接し、時として助言や諫言を授けることがある。

『あんな別れ方で良かったのかと聞いている』

「あんなも何も、あれ以上はないじゃない」

『お前はあの娘の言ったことを正しく理解しているのか? もう一生会えないかもしれない、と言っていたんだぞ』

「……分かってるわよ。でも盛皮君だって聞いたでしょう、あの観測者だとかって人の話を」

 観測者は語った。
 自身が世界転移の方法を持ち、ポラリスを元の世界に戻す力があること。
 ポラリスの言う『遠いところ』が彼女の元いた世界であること。
 そして彼女がその提案に乗ったこと。

「なんてことはないわ、ポラリスが元の世界に帰るだけだもの……、それってとっても素晴らしいことでしょう?」

『……お前はあの世界に帰りたいとは思わないのか?』

 『味噌煮込みうどん』が出会ってからしばらくした後、ノメァとポラリス、そしてファイト・オーの三名にはとある共通点が見つかった。
 三名全員が、とある都市について同一の名称と文化を認識していたのである。
 つまりはポラリスが提唱した『世界転移説』を後押しするに足るものだったのだ。
 そして今回の観測者の口からもたらされた情報は、ほぼその説を肯定していた。

 ノメァとしては世界が転移していようがいまいが関係のない話であり、特にポラリスの希望を摘む理由も趣味もなかったので、彼女の説には肯定的だった。
 まさか本当にその説が正しいと証明されるとは思っていなかったが。

「――変わらないわ。あの世界も、この世界も……どちらも私にとっては『不幸な世界』よ」

 ノメァは立ち上がり、尻の砂を叩き落としてから盛皮君を頭の上に乗っけた。

「仮に戻りたいと願っても、あの観測者って人が私を連れて行ってくれるはずないじゃない。無関係なのよ?」

『しかし、あの娘はお前にとって大切だったのではないか』

「否定はしない……でも、だからこそよ」

 そう言い切って、ノメァは歩み始めた。
 不幸を撒き散らす存在の傍にいては、いずれポラリスの人生も食いつぶしてしまう。
 これはいい機会なのだ。
 べったりとくっついてきていたあちらから別れを切り出された、この時が。

「ポラリスは元の世界へ帰れる、私の不幸からも逃れられる。私はあの子に不幸を押し付けることがなくなる。好いこと尽くめじゃない」

『あの娘は泣いていたぞ』

「……泣いてなんかいなかったわ」

『心で泣いていたんだ』

「どうしてそんなこと分かるのよ」

『今のお前と同じだからだ』

「ッ……!」

 ノメァは唇を噛んだ。
 さざ波のように揺れる心と言い知れぬ不安感に、見透かされて初めて気がついたのだ。

「そんなもの、幻想よっ……!!」

 口では否定しても、心までは否定しきれていなかった。
 あの時、あの場所で。
 ノメァとポラリス、ふたりが同じだと気づいてしまったから。

 どの世界からも爪弾きにされた少女が、心のどこかで居場所を求めていたのかもしれない。
 名前を呼んでくれて、失わないように強く、強く手を握ってくれた。
 それらはもう、幻想の彼方へと消え去っていく。

「夢よ、幻よ!
 幻想の記憶なのよ、あんなのは……!
 私は求めちゃいけなかったんだ、輪の中になんて……入ろうとしなきゃよかった!!」

 熱い何かが頬を伝っていった。
 気づかないうちに、ノメァの双眸からは大粒の涙がこぼれていく。

「差し伸べられた手も拒んでしまえばよかったんだ! いつか失うなら、最初から手に入れなければ良かったっ……!!」

 止め処なく流れる涙に、ノメァの足が止められた。
 心にぽっかりと穴が開いたような、そんな喪失感がノメァを苛んでいる。

 もう彼女を選ぶ者はいなくなる、世界から切り離されてしまう。
 いいやそうじゃない、もう希望も期待も自分から切り離そうとしてしまうのだ。

『……本当はもう分かっているんじゃないのか? あの娘が何の理由もなしにお前を置いていくはずがないと』

「………………」

『あれだけ好意を寄せられていたお前なら分からないはずがないだろう?
 あの娘がどれほどお前を大切に思っていたか、離れたくないと願っていたか。
 例え元の世界の両親の元へ戻れるのだとしても、お前のことを思考の外に追いやるはずがない』

「でも、あの子が言ったのよ……別れを告げたのは、あっちなのよ……!?」

『何か事情があったはずだ。お前を置いてでも成し遂げなければならない何かがあったのかもしれない』

 盛皮君の話は推測の域を出ないものであった。
 しかし、その小さな疑いは思考の余地を生む。
 明らかに様子の変わったポラリス、どうしても怪しい観測者という存在。

 ――果たしてポラリスは本心からノメァを突き放したのか?

「……ポラリス」

 ひどくか細い、自分でも驚くほどに消え入りそうな怯えた声だった。
 それがきっかけだったのか、ノメァは固まってしまった。
 次の言葉が見つからず、ただ口を開閉するだけだ。

『――迷うな』

 それは強く、重い語調で発せられた。
 アドバイスというよりは叱咤である。

『迷って何かを成せるほどお前は器用じゃないだろう。……お前の好きなようにやればいい』

 それは、他人のことが言えないほどに不器用な励ましだ。
 盛皮君は口が達者なほうではないというのは、長年付き合ってきた経験から知っている。
 その言葉は、縫い付けられたように凍りついた足を動かすのに十分な威力があった。

「私は、」

 思えば、もうとっくに心の奥底ではそう願っていたのかもしれない。
 ずっと傍にいたから、いつの間にか聞けなくなってしまった、あれを。
 本当に離れ離れになってしまう前に聞きたいことがある。

「私、は――」

 ポラリスはノメァはこれまで出会った全ての存在と比べても、ひどく長続きしたほうだ。
 先の短い命が散るまでに、これほどの付き合いをする相手はもう現れないかもしれない。

 これが最後だというのなら、たったひとつだけでいい。
 他者に不幸を振り撒く覚悟で、小さな小さな我儘を言いたい。

「――ポラリスの本音を知りたい」

 声に出して、言ってしまった。
 周囲には誰もいない、誰にも聞かれていない。
 それでも、ノメァ・ピドュポエガという自分自身が聞いていた。

 もう、後戻りはできそうにない。

『ではあの娘を追いかけなければな』

「でも、ポラリスはもう……」

 先ほど駆け出した青白い炎を纏った馬車は、もうどこにも見えない。
 しかし、ノメァは夜空に浮かぶ奇妙な『それ』を見つけた。

「あれは……魔法陣?」

 満月の輪郭をなぞるように、青白いもやのようなものが中空に漂っている。
 それは、その色には見覚えがあった。
 つい先ほど見た、空へと飛び出していった青白い炎と同じだ。

『魔術の残滓のようだな。何らかの術式が発動した名残だろう』

「それって、何の?」

『観測者とポラリスが行おうとしていたのは「世界の転移」だ。あの魔法陣をゲートとして転移したに違いない』

 ノメァは魔術に対してはひどく疎い。
 それは盛皮君も同様であるが、その程度の推測は可能だった。

「……私じゃお手上げね」

 盛皮君は無言で返した。
 そんなもの最初から分かりきっているとでも言いたげである。

 となれば、残る選択肢はひとつしかない。

「――急ぐわよ!」

 さっきまで動かなかった脚はしっかりと大地を踏みしめて動かせる。
 大丈夫、走るのは得意だ。

「きっと、間に合わせてみせる……!」


 敵対は確定した。
 十数歩の距離を挟んで、ポラリスと観測者は睨み合う。
 攻撃に備え、ポラリスは自身の得物たる日本刀を構える。

 観測者の足元には先ほど並べた魔具が所狭しと並べられている。
 間違いなく対ポラリス用に調整し、準備したもののはずだ。
 あれだけの魔具の準備、そして一人歩きを狙って話を持ちかけてきたということは、ポラリスの情報を少なからず握っているものとみて間違いない。

 観測者も動かず、儀式用の杖を握ったままこちらを窺っている。
 おそらくこの瞬間にもあちらの準備は着々と進んでいるのだろう。
 長期戦は不利、となれば一撃必殺が望ましい。

 ポラリスの掌に、美しい七色の羽が出現した。
 それを潰すように握り締めると、彼女の背には禍々しい夜色の翼が展開される。
 一定時間の飛翔を可能とする『ヴィゾフニルの尾羽』というポラリス専用の魔具である。

「最初から全力じゃないか。保つのかい? 一〇〇〇〇回までさ?」

 観測者は笑う。
 無論、ポラリスは彼の前でこれを用いたことは一度もない。
 おそらく事前に情報を得ていたのだろうが、『ヴィゾフニルの尾羽』を用いたとしても突破されないという自信が表れている様子だ。

 日本刀を鞘に納めたポラリスは、一度大きく息を吸って、吐いた。
 そして真っ白で平坦な地面を蹴りつけ、跳ぶ。

 駆ける、なんてものじゃない。
 それはまさしく『矢』と表しても遜色がないほどの速度で、ポラリスは滑空する。

 彼我の距離が半分を割った頃、ポラリスの紅い双眸が光を捉える。
 真っ白な地面によってカモフラージュされているが、同じ色に輝く『槍』がポラリスを待ち構えるように生成されていた。
 それは観測者による迎撃術式に他ならない。

「っ……!」

 片方の翼で大気を叩き、あえて体勢を崩すことで『槍』を避ける。
 心臓狙いの一撃は彼女の肩の肉を浅く切り裂いて後方へと飛んでいく。
 鮮血を撒き散らしながらも、ポラリスは更に速度を上げた。

 しかし迎撃は終わらない。
 今度は前後左右、上下を青白い炎の魔法陣によって囲まれた。
 おそらくは全方位からの『槍』か、魔法による攻撃だろう。

「――アユレディー!」

 掛け声と共に、ポラリスの周囲に白い霧が漂い始めた。
 彼女の髪を束ねる『真紅のリボン』に秘められた術式が解放された証拠だ。

 『真紅のリボン』には様々な神話武器の類が霧化されて格納されている、用は武器庫のようなものだ。
 その中には防御の要たる魔盾スヴェルも存在するが、今の状況では役に立たない。

 ポラリスが選んだのは魔鎚ミョルニルだった。
 滑空を続けながら魔鎚を手に、それを思い切り投げ放って地面へと叩きつける。
 北欧神話における『雷神』トールの所有物たるそれの一撃は、周囲一体を雷撃で薙ぎ払う力がある。
 展開途中だった魔法陣の全てが一瞬にしてかき消され、その意味を失って消失した。

 そうしている内に彼我の距離は残り五歩、一瞬後には抜刀圏内である。
 観測者は杖を振るう。
 それを合図に、最後の迎撃術式が展開された。

 視界を埋め尽くすほどの、何十何百といった青白い炎の魔法陣が観測者の前方に展開される。
 まるで術者たる彼を守護するかのように。

「トゥーーーイィーーーズィィィィイイイイイイイイイイイイイ!!!!」

 愚策である。
 迎撃できないからと守りに徹するのは愚の骨頂だ。
 魔法陣を目くらましに、逃走の準備をしていてもおかしくないほどに。
 その判断も術式も甘い。

 ポラリスは霧の中から神槍グングニルを引き抜き、そのまま観測者目掛けて投げつける。
 北欧神話における『最高神』オーディンの所有物たるその一槍は、こと貫通力において右に出るものはない。
 邪なる魔法陣を打ち払いながら、後に続くポラリスの進む道を切り開いていく。

 多重の魔法陣を抜けた先、果たしてそこに観測者はいた。
 未だに杖を手に持ったままで、傍には剣も盾も存在しない。

「ガナヘーッ!!!」

 疾走からの居合。
 細い木の杖ではこの一閃は防ぎようがない。
 ポラリスの剣閃は確実に観測者の首を刎ね飛ばす。

「――ッ!?」

 はずだった。

「いや、甘いんだよねぇ」

 ポラリスの刀は観測者の首を確実に捉えていた。
 だのに、斬れない。
 それどころか傷ひとつ、わずかな衝撃すらも伝わっていないように感じた。

「君はこの世界というものを分かっていない」

 あろうことか、観測者は日本刀を素手で掴んだ。
 一気に引き抜けば観測者の四本の指が飛ぶはずなのに、一切動かせない。

「この世界は僕が観測し、僕が管理する世界だ。
 故に僕が僕にとって有利で甘々なルールを定めている。
 たとえば『僕への敵意・害意はその一切が無力化される』、だとかねぇ?」

「……デーミッツ、とんでもない引きこもりめ」

 舌を打たずにはいられなかった。

 ある程度の覚悟はしていた。
 魔術的なゲートを通る以上、その先には観測者にとって有利な何かが準備されているとは予想していたが、これほど一方的で反則級の仕掛けがあるとは予想外である。
 これでは観測者に対して攻撃も妨害も行えない。

「プレゼントだ、受け取りなよ」

 ぬらりとした殺気を向けられ、ポラリスはとんでもなく拙い状況にあることを今更ながらに理解した。
 日本刀から手を離して全力で後退する。
 しかし、その判断は圧倒的に遅かった。
 翼で大気を叩いてブーストしたとしても、だ。

 観測者の杖の先から青色と白色の魔力の塊が迸る。
 それは術式なんて小奇麗なものじゃなく、単なる魔力と魔力の擦り合わせによる暴発を利用した爆破だった。

「つぁっ――!!」

 ろくに防御態勢も取れないままポラリスは吹き飛ばされる。
 本来なら翼による防御でダメージを軽減するべきだったが、それも間に合わなかった。
 もしかすると『観測者の世界』による強制力が働いていたのかもしれない。

 真っ白な世界が、ポラリスの身体から溢れた朱で彩られた。




To Be Continued...つづきはこちら

  • 最終更新:2015-01-03 18:49:26

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