幻想メモリアル1

書いたやつ:周摩


【プロローグ】

 満月の綺麗な夜だった。
 闇に溶け込むような黒のシャツが照らされ、銀の髪は優しい光を反射して輝いた。
 適度に吹く風に一つに纏めた銀の髪と、真っ直ぐ天に向かって跳ね上がる真紅のリボンがゆらゆらと揺れる。

 ポラリス・エイムズは独りでお食事処『味噌煮込みうどん』から少し離れた丘を歩いている。
 時分はすでに夜半、『味噌煮込みうどん』の誰もが深く寝入っている頃だろう。

「………………」

 ポラリスは短い草で覆われているとはいえ、地べた何のためらいもなく身を投げ出した。
 仰向けになり、自然と夜空を見上げる形となる。
 この時分は満月やその周囲を飾る星々の時間でもある。

 月に一度、ポラリスはこうして月の光を浴びる。
 それは彼女が『おねーちゃん』と呼び慕っているノメァ・ピドュポエガにすら知られていない。

 ポラリスは星の名前を、彼女の母は月の女神と同じ名前をしている。
 だから寄り添うように輝く星をやさしく照らす月の光が恋しいのだと、そう思われるのはさすがに気恥ずかしい。
 その通りなのだから、更にだ。

「……パパ、ママ」

 たかだか一五年しか生きていない少女には世界の転移という、常人では一生に一度でもないほどの経験は重すぎた。
 両親を思い出してホームシックになる事を咎められるはずがない。 
 だからこそこうして両親を思い、図らずも言葉にしてしまったのは彼女の非ではなかった。

「――寂しいのかい?」

 聞きなれない男性の声。
 ポラリスはさして警戒する事もなく、視線だけで声の出所を視た。
 年の頃はポラリスとさして変わらないくらいの若い男だった。

「フアユー?」

 ポラリスの言葉に、若い男は首を傾げた。
 言葉が通じないのかと一瞬思ったが、先ほどの言葉をポラリスが理解しているとなると、そうではないのだろう。
 これは『味噌煮込みうどん』の誰しもに言われた事だが、どうにもポラリスの言葉は発音自体が聞き取りづらいらしい。

 言うなれば訛っているのだ。
 幼少時より西方諸国に限らず各地を転々としていたポラリスにとって母国語というのはかなり絞りづらい。
 そこそこ付き合いの長い『味噌煮込みうどん』であればニュアンスで伝わるのだが、初対面でこれでは厳しいものがあった。

「会いたいひとがいるんだね?」

「いないって言ったら嘘になる、かな。んでおにーさんはあれかな、痴漢とか変態さんかな?」

 ポラリスとて学習しない訳ではない。
 『誰?』という問いが通じないなら別の表現を使えばいいのだ。

「僕は世界の観測者、ってところさ。痴漢でも変態でもないよ」

 そう言って、観測者はほんの少しだけ笑んだ。
 世界の観測者と言われてもポラリスにはピンと来ない。
 というよりも常識を逸脱しすぎていてその名乗りを疑わざるを得ない。

「パードゥン?」

「ん、分からなかったかい?
 ええとね、簡単に言ってしまえば管理人みたいなものさ。
 僕は幾つかある世界の橋渡しを担っているんだけど」

 観測者としては説明を加えたと思っているのだろうが、相変わらずポラリスにはちんぷんかんぷんだ。
 彼の言葉が真実だとしても、そもそもスケールが大きすぎて話についていけない。

「まぁ要するに。もしかすると君をこの世界に転移させたのは僕かもしれないんだ」

 ポラリスにとってはそれだけで十分だった。
 それさえ分かれば目の前の観測者を名乗る男が何であろうとどうでもいい。

「フーリッシュガイ……、そっちからノコノコ来るとは予想外だったよ」

 観測者の眼前には月光を浴びてぬらぬらと妖しく輝く刃が突きつけられていた。
 それは言うまでもなくポラリスの得物たる日本刀であり、その殺意は観測者に向けられている。
 殺気と切っ先を突きつけられてなお、観測者は微動だにしない。

 ポラリスがこちらの世界に転移してきて、どれほどのストレスと孤独に苛まれたか。
 それは実際に体験したポラリスでなければ理解できないし、『かもしれない』なんて無責任極まりない発言で触れてはいけない領域だった。
 事実、転移してすぐノメァ・ピドュポエガという存在に触れていなければポラリスの心は完全に壊れ果ててしまっていたはずだ。

「よしなよ、そんな程度じゃ僕は殺せない」

「試してみなくちゃ分からないでしょ。一〇〇〇〇回くらい刺しても生きてたら別の手を考えるよ」

「呆れるほどに過激だね君は……まぁ落ち着いて。僕は責任を取りに来たんだよ」

 刃を押しのけようともせず、観測者は飄々と言い放つ。
 ポラリスは本能的に彼がハッタリや度胸だけでそう言っているのではないと気づいた。

「責任? 何を今更」

「そうだね、まずは君を元いた世界に戻してあげられるよ」

「は、……?」

「君の両親や友達に再び会わせてあげる」

 それは悪魔の囁きだった。
 孤独という苦しみを一番に嫌うポラリスにとっては甘美に過ぎる言葉だ。

「ナンセンス!!」

「信じていないって顔をしているね? まぁ、それでもいいさ。
 こちらの世界へ送り込んでしまったのは他ならぬ僕だから、元の世界に戻してあげるっていうのは不手際の責任を取るってだけだからね。
 君がこの世界に残りたい、元の世界に帰りたくないというのなら引き留めはしないさ」

 ポラリスは知恵働きが得意ではない。
 否、仮に『味噌煮込みうどん』の頭脳たる遠啼ひばりだったとしても目の前の観測者の発言の裏を取る事は到底不可能であろう。
 言うなれば目の前の男はあまりにも怪しすぎた。

「………………」

 だが、それでもポラリスは日本刀を突き刺さなかった。
 戯れ言だと、自分を騙すための罠だと頭では理解していても、断ち切れないものがある。
 それがポラリスの身体を硬直させていた。

「……悩んでいるみたいだね、それじゃ猶予をあげるよ。
 明日のこの時間、もう一度だけ僕は君を訪ねる。
 それまでに考えをまとめておくといいよ」

 言うだけ言って、観測者は森の奥へと消えていった。
 ポラリスは突きつけた日本刀を降ろす事さえ忘れて、ただ膠着したままだった。



【幻想メモリアル】

 その日、ポラリス・エイムズはとても静かだった。
 はしゃがないし騒がないし、何より口数がひどく少ない。
 普段の彼女を知っている者からすれば、天変地異の前触れと思えるほどの衝撃である。
 遠啼ひばり、ファイト・オー、東洲斎虹夜の三名はその様子を厨房から眺めていた。

「何か気味悪いな」

「言い過ぎですファイトさん。しかし、確かに気になりますね」

「『あの』ポラ嬢があれほど元気がないのは見た事がない。心当たりはないのか?」

「いえ、今朝からああみたいです。昨夜まではいつも通り元気だったはずですが。それよりも……」

 ひばりは事態がより深刻である事を知っていた。
 この場にノメァ・ピドュポエガが居ない、その事実の異常性を知っている。

「普段あれほどべったりな二人が離れている」

「喧嘩してた風には見えねえがな。ところでノミャ……じゃないノメァ嬢は?」

「私用で街まで。非常食の買出しとの事ですが……」

「ポラ嬢が一緒に行かなかったのはやはり気がかりだな」

 結局、幾ら悩んでも答えは出ない訳で。
 ファイト・オーは思い切って声をかけてみた。

「ようポラ子、どうしたんだよ」

「……そうだね」

「体調でも悪いのか?」
 
「……そうだね」

「お前もしかして俺の話聞いてねえのか」

「……そうだね」

「のこぎり?」

「……ソーだね」

「北欧の太陽神?」

「……ソールだね」

「お前やっぱ聞いてるだろ!!」

「……そうだね」

 という不毛すぎるやり取りの後、ファイトはポラリスを放って厨房へ戻った。
 ポラリスが上の空すぎて会話が成立せず、時間の無駄だ。
 ならば次はと虹夜が声をかけてみる。

「ポラ嬢、何か悩みでも?」

「虹夜さん。ううん、何もナッシン……」

「それにしては元気がないように見えるぞ」

「……ちょっとね」

「それは私や社長にも話せない事かな?」

「ごめんなさい……」

「そうか、詮索してすまなかった」

「ううん、サンクス虹夜さん」

 虹夜は意外とあっさりと退いた。
 誰にも話せない領域の悩みとあらば、無神経に足を踏み入れて良い場所ではない。
 それでもポラリスのために悩みを和らげてやりたいのは確かである。 
 なので、最後にこう言ってやった。

「それはそうと先日、街で美味い飯屋を見つけたのだが。今度食いに行かないか?」

 ポラリスが食事に対して並々ならぬ熱意を見せているのは周知の事実。
 特に虹夜は自身もグルメであり、そんな彼女とは息の合うところもあった。
 言うなればこれは対ポラリス用の殺し文句である。
 これで少しでも笑顔を見せてくれればと思ったのであるが。

「……うん。今度ね」

 しかし、結果は芳しくなかった。
 ポラリスが見せた笑みはいつものそれと全く違う。
 喜びだとか期待だとか、そんなプラスの要素が全く見て取れないほどに、底に沈んだ笑みだった。

 厨房へと戻った虹夜はポラリスとの会話の内容をひばりへと伝えた。
 無論、先ほどの乾いた笑みも含めて。

「これは相当に追い込まれているかもしれないぞ」

「そう、ですね……」

 あの万年能天気なポラリスが悩みを抱えている事もそうだが、食に対しても全く反応がなかった事も気に掛かる。
 それほどに彼女の悩みは深いものなのだろうか。
 どちらにせよ彼女が打ち明けてくれない以上、ひばりたちとしても対処を計りかねてしまう。
 そうなってしまえば、残る方法は一つしかなかった。

 そして厨房の隅で、ファイトは独り呟く。

「俺と虹夜兄で対応違いすぎないかあいつ……」


 夕日により山吹色に照らされた峠を、ノメァ・ピドュポエガは歩いていた。
 すっかり疲労困憊な理由、それは単に街からこの山道までずっと歩き詰めだからという理由だけではない。

 超がつくほどの不幸体質を持つノメァは、それこそ周囲の人間の不幸を肩代わりしているがごとき災難に遭うものだ。
 今日も今日とて野犬に吠えられ噛み付かれから始まり、何やかんやで短編小説が一本書けるほどのアドベンチャーを経験していた。
 そのせいで疲労はいつもの倍近くある。

 今日はもうさっさと眠ってしまおう、と考えた矢先にお食事処『味噌煮込みうどん』の店の軒先に一人の影を見つけた。
 まっすぐに切りそろえた前髪に整った顔立ち、華奢な細身を包むのは気取った風のない落ち着いた服装。
 社長の遠啼ひばりである。

 あちらもノメァの姿を認めたのか、軽く会釈する。
 どうにもその表情はいつもの無感情なそれとは違い、やや曇りがちに見える。
 二人の距離が十分に縮まってから、ひばりは口を開いた。

「少し話があります。ポラリスさんの事です」

「ひばりさん……あとでいい? 私疲れてるの」

「重々承知ですが、大切……いえ、もしかしたら深刻な話かもしれません」

 意外にも強い語気にノメァは次の言葉を詰まらせた。
 元より遠啼ひばりという存在には多少の苦手意識を持ち合わせているノメァはこれを断れない。
 ひばりの先導の元、二人は営業の終了した店舗へと足を踏み入れ、厨房へと向かった。
 年季の入ったランプに火を点したひばりはノメァに椅子を勧め、自らも適当な椅子へ腰掛ける。

「実は今朝からポラリスさんの様子がおかしいのです。何か知りませんか?」

「ポラリスの?」

 ノメァはきょとんとして首をかしげた。
 はて、何か変わった事はあったろうかと考えて、それがあった事を思い出す。

「ああ、街に買い出しに行くっていうのに付いて来なかったから?」

「……いえ、それも含むのですが。どうにも元気がない、というよりは悩みを抱えている風に見えるのです」

「悩みって……万年能天気のあの子が?」

 にわかには信じられない。
 確かにいつもベタベタくっついてくるオナモミのようなポラリスが、今日に限って付いて来なかったのは不思議には思いつつも捨て置いた。
 彼女が一方的にくっついてきているのだし、ノメァのほうから付いてきなさいなんて言えるはずがない。
 ノメァにはノメァの、ポラリスにはポラリスの事情があるのだから。

 しかし、悩みとはどういう事なのか。
 少なくとも前日の夜まではポラリスにそんな様子は微塵もなかった。
 いつも通りベタベタとじゃれついてきて、悩みなんて欠片もないとばかりに振舞っていたはずだ。

「思い過ごしじゃないの?」

「虹夜さん曰く『何かを思いつめている』との事です。私の考えも概ね意見が一致しています」

「ファイトさんは?」

「『どうせ腹減ってんだろ』とか言い出して掌破調理を始めたので『止め』ました。彼女の悩みは空腹などではありません」

 静かに言い放ち、ひばりは右手で眼鏡の位置を調整した。
 その仕草にノメァはビクリと身体を揺する。

 ひばりの眼鏡にはどんな技術・魔術が施されているか知らないが、それが高出力のビームを放つというとんでもない兵器だというのは理解していた。
 ちなみに掌破調理とはファイト・オーが推進(?)している万能調理法(!?)の事であり、気のパワーを用いて調理するといかいう、いかにも胡散臭い行為の事である。
 当然、調理場は散らかるし下手すれば破壊するしで、披露した際にはもっぱらひばりの眼鏡ビームの餌食になっている。

「となると私たちにはお手上げです。ノメァさんはポラリスさんと一番長い付き合いだと聞いていますし、何か分かりませんか?」

「付き合いが長いって言っても、たかだか数日の差よ? それで何かと言われても……」

 思い当たる節はほとんどない。
 そもそもノメァは同僚のファイトやポラリス同様、知恵働きが得意ではない。
 文字の読み書きや金銭の計算すら満足にできないのだ。
 となるとノメァに取れる行動は一つしかない。

「直接聞いてみればいいんじゃないかしら?」

「それができれば苦労はしません。と言いたいところですが、あなたであればポラリスさんの心を開かせる事は可能かもしれません」

「……買いかぶりすぎよ」

 短く言い残して、ノメァはその場を後にする。

 そう、買いかぶりすぎだ。
 こんな不幸をばら撒く存在に何を期待するというのか。
 今回の件だって、ノメァの不幸がポラリスに伝染した可能性だってあるのに。

 ノメァは自室へ戻り、ずっと抱えていた両手用のメイスを壁に立てかける。
 肉体的な疲労に加えてポラリスの悩みについて考えさせられたせいか頭も疲れた。
 ベッドに倒れこむと、少しもしない内にノメァの精神は眠りの淵へと誘われていった。


「おねーちゃん」

 その一言で目が覚めた。
 ノメァ・ピドュポエガは気だるげに身を起こし、声の主へと目を向ける。
 開け放たれた窓の縁に腰掛けたポラリス・エイムズが静かにノメァを見つめていた。
 世界広しと言えどノメァを『おねーちゃん』呼ばわりするのはただの一人しか存在しない。

「もう夜だよ?」

「夜は寝るものよ」

 適当に返して、ノメァは大きく伸びをする。
 うたた寝だった割には意外と寝覚めは悪くない。
 やがてぼんやりとしていた頭が正常な動作をするようになると、夕刻に遠啼ひばりと交わした会話を思い出す。

 ポラリスが何か悩み事をしている。

 ひばりはそう言っていた。
 彼女だけではなく、東洲斎虹夜もそう感じているらしい。
 しかし、当の本人を目の前にしても変わった様子はさほど感じられない。

「せっかく起きたんだし、散歩しない?」

「起こされたような気もするけどね」

 しかし目が冴えてしまったのは事実であり、ひばりの頼みもある。
 ノメァはその誘いに乗ることにした。

 散歩と言ってもそう遠出はできない。
 ノメァはただポラリスの後をついていくだけだが、ポラリスは少しも歩かない内に足を止めた。
 そこは二人にとって、ある意味思い出深い場所でもある。

「これ覚えてる? おねーちゃんが開けた穴」

 そう言って、ポラリスは木の幹に穿たれた穴を指した。
 忘れるはずもない、その穴を開けたのはノメァ自身、正確にはノメァの角だからだ。

「ここね、ムカデさんの巣になっちゃったんだよー。ほらほら見て」

「見たくないわぁっ!!」

 穴を開けた経緯もあまり思い出したくないものであり、あとは野となれ山となれと思っていたが、さすがに虫の巣になっているなんて聞きたくなかった。
 もう少しまともな、せめて小鳥とかの巣になっていればいいのに。

「で、何なのよ。いきなり呼び出してただの散歩って訳じゃないんでしょ」

 これ以上無駄に会話を引き伸ばしても良い事はなさそうだと判断したノメァは、いっそ単刀直入に訊ねた。
 それを受けて、ポラリスは意外そうに大きな紅い双眸をぱちくりさせる。
 そういった仕草は歳相応の女の子のそれにしか見えない。

「……ビックリ。でも、さすがおねーちゃん、わたしの考えなんてお見通しなんだね」

「待ちなさい何か誤解してるわ。私はひばりさんから聞いたのよ。あなたの様子が変だ、何か悩んでる、って」

「そっかひばりさんかぁ。うん、ひばりさんもすごいね。時々怖くなるもの、眼鏡とかが」

 それは誰もが思っている、と言いかけてノメァは止めた。
 ひばりの眼鏡については確かにその通りなのだが、ポラリスの様子がどことなく変に思える。
 意図的に会話を引き伸ばそうとしているようなそんな感覚。
 まるでこれからノメァに何か重要なことを告白しようとして、それでも躊躇いから一歩が踏み出せないような、そんな感じだった。

「……わたしね」

 どれくらい経っただろうか。
 ポラリスは木の幹にもたれかかるように背を預けて、俯いたまま口を開いた。

「おねーちゃんのこと、好きだよ」

「――ぶふっ!?」

 まさかのマジもんの告白だった。

「もちろんひばりさんも虹夜さんもファイトもみんなみんな好きだけど、やっぱりノメァおねーちゃんが一番好きなの。大好きなの」

 愛情じゃなくて、友情。
 そっちか、と口に出そうだったので必死に押し留めた。
 そんなものを言葉にしたらよもや期待していたのかと邪推されかねない。
 ポラリスの頭はそんなに立派にできていないのだ。

「わたしは馬鹿だから忘れっぽくて、とっても移ろいやすいけど。これだけは変わらないから。トラストミー」

「……分かったわよ」

 さすがに少しむず痒い。
 この子はストレートに恥ずかしいことを平然と言ってのける節がある。

「わたしね、ちょっと遠いところに行くの」

「――え?」

 耳を疑った。
 それと同時に、ノメァも自分自身の反応について驚かされた。
 自身の耳を疑うほどに、その言葉は聞き捨てならないものだったのかと。

「それはあそこを……『味噌煮込みうどん』から離れるっていうこと?」

「イエス。もしかしたら、もう戻ってこれないかもしれない」

「――みんなには、ひばりさんにはもう伝えたの?」

 その言葉にポラリスはビクリと反応した。
 おそらく内容にではなく、ノメァの言葉が思いのほか鋭い語調になってしまったからだろう。
 少し顔を青ざめながらも首を横に振る。

「いつ発つの?」

「……すぐにでも。おねーちゃんにだけはお別れを言いたくて」

「ッなんで――!」

 ノメァは声を荒げた。
 どうしてこんなに心がざわつくのか、その理由はもう自分でも分かっているつもりだ。
 まるで捨て犬のような不安げな瞳でこちらを窺うポラリスに、ノメァは小さく深呼吸して語気を整える。

「――どうして私なのよ……!?」

 鼓動が早くなる。
 せっかく整えた語気も、だんだんと荒く鋭くなっていく。

「ひばりさんだって虹夜さんだってファイトさんだっている。だのに、どうして私なんかを!」

 違う。
 本当に聞きたいのはこんなことじゃないはずだ。
 こんなものはただの八つ当たりでしかない。

「……おねーちゃんはわたしを救ってくれたひとだから。
 わたしが独りぼっちで震えてるときに、手を取ってくれたひとだから」

「だからって私じゃなくてもいいじゃない!
 他のみんなだっていたのに、そんな理由だけで私を選ぶ意味が分からないのよ!」

「それだけじゃないの。理由はあるの……」

 ポラリスの声は萎むように小さくなっていった。
 唇に手を宛がい、もう片方の手は抱きしめるようにその細い身体に回している。

「もともと、わたしはこの世界の住人じゃないっていうのは知ってるよね?」

 あえて言葉にはせず、ノメァは頷いた。
 熱くなりすぎた頭を少しでも冷やしたい。

「わたしにとっては、この世界に移ったことはそれ自体がとんでもない不幸だったの。
 大好きなパパやママ、おじさんや村長さんたちと会えなくなって、すっごく寂しかった。
 だけど、ふと思ったの。

 もしかしたらこれは天罰なんじゃないか、って」

「………………」

「わたしがずっとみんなに甘えてきたから、神様が怒ったんじゃないかって思ったの。
 だからわたしをこの世界に運んで独りにして、反省させようとしてるのかなって。
 反省したら元の世界に帰れるかもって思ってた」

 とんでもない発想だった。
 子供らしいと言えばそうであるが、それはあまりにも逃避が過ぎる。

「今も、わたしは心のどこかでそう考えてるんだと思う。
 たくさんのひとに甘えないように、他人と距離を取ろうってがんばったの。
 それでも、やっぱり怖くて辛かったから。

 ……だから、ノメァおねーちゃんにだけは甘えたかったの」

 そうだ、ポラリスは子供だ。
 彼女の特異性や過激さに目を向けがちだが、彼女はまだ幼い。
 肉体的にも精神的にも、弱くて脆い。

 幼い彼女が甘えを捨てられない対象として選んだのは、『この世界で初めて会った』ノメァである。
 そんな理由なら誰だって良かったのではないか。
 ポラリスがノメァに求める付加価値は、他の誰しもが取って代われるものではないのか。

 否、断じてそうではない。
 ノメァ・ピドュポエガが超がつくほどの不幸体質だというのは紛れもない事実。
 つまりノメァには『ポラリスが救われる』という幸運を彼女に触れさせるすらできないはずである。

 ――これが奇跡でなければ何だというのだ。

 ポラリスはノメァに救われ、ノメァはポラリスに救われていたというだけのことだ。
 そこに自覚の有無はあれど、本質的にはさほど変わりはない。
 容易には受け止めきれない事実を知ったノメァは、それでもポラリスの名を呼ぼうとして、

「――話は終わったかい?」

 唐突な闖入者によって遮られた。

「盗み聞きとは随分だね観測者。もっと別に良い趣味を作ったほうがいいよ」

「僕もそんなつもりはなかったんだけど、目に耳に入ったものは仕方ないじゃないか?」

 ポラリスは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
 それはノメァが今までに見たことがないほどの、嫌悪の感情である。
 あの底抜けに明るいポラリスがこれほどの負の感情を表していることに、ノメァは少なからず戸惑った。

「ノメァさん、だったね。僕は世界の観測者。名前は――」

「そんなことはどうだっていいから、何をしに来たのか説明して」

「つれないねぇ、自己紹介も駄目かい?」

 あくまで飄々とした態度を崩さない観測者に対し、ポラリスは侮蔑の視線を向けた。
 それもノメァの知らない表情だ。
 気圧されたのか、観測者も諦めたような表情で諸手を挙げた。

「……なに、君の姿が見えたから少し早いが迎えに来たんだよ。
 もう決心はついているんだろう、だったら少しでも早いほうがいいじゃないか」

「わたしとおねーちゃんの会話を遮るほど急ぎじゃない。何か狙いがあるんでしょ」

「まぁね、君のお姉さんにはちゃんと説明しておきたいじゃないか。君の口からじゃ言いづらいことだってあるだろう?」

「……ッ、」

 ポラリスはそれきり、口を閉ざした。
 それを了承と捉えたのか、観測者は説明を始める。

「実はね――」




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  • 最終更新:2015-02-08 19:31:41

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