小鳥が巣から飛んだ日

下手人:烏間鈴女

その報告を聞いた瞬間、冷静ではいられなかった。
プレイヤールームの開け放された扉に駆け込み、必死になって彼女に縋り付き、彼女の名を呼ぶ。
「ひばり! ……ひばり、何故……一体どうして!」
「遠啼様、落ち着いてください! 我々にも一切状況が把握できておらず」
「そんな馬鹿な! テストプレイヤーの状況は逐一モニタリングしていたはずだろう!」
「そのはずだったのですが……」
白衣の社員は困惑したようにこちらを見るばかりで、隼は苛立ちを堪え切れずに拳を握った。

インターネット上に構築した仮想空間での体験型ゲーム。
科学技術が発達した現在でもなかなかに難しかったこの難題を、ちょうど達成させられそうになっていたのだ。
まだ少人数での第二次テストプレイ段階。作ったマップも限定的であり、更にプレイヤーに解放されていた要素もごく一部。
事故など起こりえない、そのはずだった。
遠啼隼も開発に携わっており、――と言うよりも、今回の技術の大半は彼のものである――その妹である遠啼ひばりも、テストプレイヤーとしてこの試験稼動に参加。
区切られたテストプレイ期間は終了。1日近いログイン状態で、意識を失う身体面のケアも万全。試験段階と言うことで、その意識状態のモニタリングもほぼ完璧に整えられていた。
トラブルが発生したのは終了後。テストプレイヤーたちの意識が次々と戻り、健康状態の検査を受ける中、
遠啼ひばりだけが目を覚まさなかったのだ。

拳をどこかに叩き付けたかったが、ぐったりした彼女の体を前に、ひとまずの冷静さを取り戻す。
「……とりあえず、モニタリングのログは」
「こ、こちらに」
念の為、プレイヤーシートから彼女の体を動かすことなく、隼はログの調査に入る。
モニタの文字列が次々とスクロールしていくが、これと言って目立つ変化はない。意識レベル、体調、特段の異常がプレイ中には見られないのだ。
しかし、プレイ終了時刻になっても、意識レベルが回復した形跡がない。ログは現在も更新し続けられているが、リアルタイムの更新の中にも回復の形跡が見られない。本来ならば起き得ない現象。
隼の担当は仮想空間の構築、及びそこへの意識転送。決して事故など起こらないよう、入念にプログラムを構築していたはずであった。チャチなハッキングなど通用しない、専門的知識をもってさえも介入が起こることのないように、厳重なプロテクトをかけていた。そしてそのプログラムデータはあくまで彼の自宅にしかなく、他の研究開発職にも全貌を教えてはいない。
それでもなお、彼女を昏睡状態に追いやったのは誰だ? 事故か? 故意か?
……そこまで想像を巡らせた後、隼は小型の端末を取り出し、プレイヤールームへ向けて歩き出す。
非常に嫌な予感がしていた。
「ど、どうかなされましたか」
「……確認事項だ」
プレイヤーシートには、彼女――ひばりの体が横たえられている。
華奢な体つき。シンプルな服。短いおかっぱの髪。そして――彼が製作し、与えた、ゲームデバイスを兼ねた眼鏡。
手元の端末でそれにアクセスする。
パスワードを入力し、意識に干渉しないよう、データの送受信を行っている外郭部分へと繋ぐ。
その直後。
軽やかな電子音と共に、端末の画面へと文字列が浮かび上がった。

『お兄ちゃんへ』
隼は、黙ってそれを読む。

『このメッセージは、お兄ちゃんがこの端末にアクセスしたら表示されるようになっています。
 お兄ちゃんが私の端末に、マスターパスワードを使ってアクセスしているということは、私の仕掛けは上手く行ったみたいですね』
『ごめんなさい、ハッキングしました。プロテクトの元データも、不正にアクセスして入手しておりましたから、穴を頑張って見つけてそれ専用にシステムを組み上げました。誰の目もないと、私はこれだけ出来るんだって、ちょっとびっくりしています』
『私は、お兄ちゃんのゲームの中の住人になります。
 何を馬鹿なと言うかもしれません。
 今回、テストプレイの終了と同時に帰還コードを拒否し、仮想空間に留まれるように仕掛けをしておいたのです』
『仕掛けが上手く行くか、正直なところ分かりませんでした。私がやったのは、あくまで帰還コードの拒否と、眼鏡に記録しておいた私自身のデータの、仮想空間への完全な移植です。これをすることで、私の意識が元の体に戻れるかどうかは分かりませんでした。正直なところ、戻れないことを前提にこのメッセージは書いているのですけれども、データの移植だけしか行っていないために意識が戻ることも十二分に考慮できました』
『そうは、ならなかったのですね』
『私は、お兄ちゃんの傍にいたかったけれど、あの世界で過ごすのはもう嫌になってしまったのです』
『だから、ごめんなさい。見えなくても、お兄ちゃんの作った場所の中に、私は存在しています』
『こんなことをしておいて言うことではないけれど……お兄ちゃんは、お兄ちゃんのために生きてください』

メッセージはそこで終わっていた。
目が熱い。瞬きをすると、涙が落ちた。
なのに、頭はぞっとするほど冷静だった。
もしかしたらそれは、冷静と言う言葉からは程遠い場所にあるものだったかもしれないが――。
「話がある」
「……なんでしょう」
隼は顔を上げ、白衣の社員を真っ直ぐに見た。
「このゲームの公開を、禁止する」
「なっ……」
「その代わりに、このゲームそのものを、システムから設備から、全てに至るまで俺が買い取る」
「遠啼様、……それは」
「不可能じゃないだろう。まだ社内の第二次テストプレイの段階だ、外へ少々情報をリークしたかもしれないが、完全に外へ出すにはまだ時間もかかる。損害はいくらでも補填する。無理はないはずだが」
「しかし……!」
「いずれにせよ、このゲームがそちらのものである限り、俺はこれ以上開発に携わらない。買い取っても、商業化はしない。代替物の開発になら関われるかもしれないが、このゲームそのものは決してもう発展はさせない」
白衣の社員がたじろぐ様子を、隼はどこか他人事のように見ていた。

彼は「私の一存では……そ、相談してまいります」と慌てて駆け出すのを見送りもせず、動かない妹へと目を向けた。
……彼女は、普通に眠っているだけのように見える。安らかな、と形容も出来ないような普通の寝顔。
普段から、何をやっても上手く行かない、失敗ばかりの妹。
それが、大胆どころの騒ぎではない、元データを見ながらとはいえ自分をはるかに上回る技術で、彼女は飛び立っていってしまった。まったく予測の出来なかった事態だったが、自分の普段の行動を考えていると得心も行く。
彼女に、今回の技術を熱く語っていたのは。プログラミングの基礎を教えたのは、隼自身。
……そして、彼女がそれを貪欲に吸収していたことを、彼は本当は知っているはずだった。

昔からやっていたように、彼女の髪を梳く。細い髪が少し指に絡まる。
「ひばり」
名を呼んでも、彼女は反応しない。
本当のことを言うと、彼女を無理やりにこちらへ呼び戻す方法を彼は知っている。眼鏡の中のデータに直接アクセスし、拒絶不可能な帰還コードを送り、引きずり戻す方法があるにはある。
しかし、それをする気にはなれなかった。彼女の自信を完全に喪失させ、尊厳を奪い、殻に閉じこもらせる要因を作ったこちらの世界へ。
自分に対してだけは、妹は心を開いてくれていた。それも、所詮は他に誰も頼れなかったからだ。
あとで眼鏡の外郭データにアクセスしなおす。彼女の意識に本当に危機が訪れないかどうか、会社との交渉がどうなるかに関わらず、状況を把握した上で適切な処置をする。仮想空間のデータを拡張してもいい。状況が把握できればアクセスも可能かもしれない、彼女に自分の声を伝えたい。
様々な思いが頭の中で渦巻く中、隼はそっと妹の体に触れた。
華奢な体つき。自分に縋りついていた頃の頼りなさ。いつも彼女へと向けられていた声が、彼女をここまで弱らせてしまっていたのだろう。
何でもできた自分と比べられ、それに怯えてどんどんとミスを重ね、彼女の評判はすっかり悪くなってしまった。
本当は、磨けば素晴らしい、自分をはるかに超えるまでの才能を持っていたにも関わらず。
まるで評判そのものに打ちのめされてしまったかのように、彼女は人前では何も出来ない人間になってしまっていたが……。
「やればできるじゃないか、ひばり」
今は、彼女に聞こえなくても賞賛の声を投げかけてやりたい。彼女のことを認めていたということを伝えてやりたい。
だけど。
(……だから、なのか。その才能を、本当に自分のためにしか使えなかったのは)
それが、それだけが、無性に悔しかった。
本当の意味で、彼女を救うことが、自分に出来なかったことが。
メッセージの最後に付け加えられた、不自然な一文を思い出す。
『お兄ちゃんは、お兄ちゃんのために生きてください』
ひばりは周りから何度も言われていた。駄目な彼女の存在が、隼の邪魔になっていると。足枷になっていると。あんな優秀な兄に比べて、お前はどうして何も出来ないのだと。
実際に苦手なこともあったし、そもそも彼女は人付き合いが苦手だった。他人言っていることを素直にしか解釈しない子で、素直にすべて受け止めてしまった。友人から、教師から、両親から、親族から、繰り返し投げつけられた、恐らく放ったほうも無意識の、悪意ある言葉。
何もそこまで真っ直ぐに受け止める必要がなかったのに、彼女はそれに気づけなかった。
隼自身にも、それを真っ向から否定して、彼女を肯定してやることができなかった。

だから、彼女の言葉には従えない。
いつか自ら戻ってこようという意志を抱くまで、彼女のために時間を作り続けよう。
いくら愚かといわれようとも、自分は彼女のたった一人の兄なのだから。





******

・個人研究室のメモ
ゲーム上の仮想空間のはずが、実際に一切製作していないはずのマップを発見。
配置しているはずもないキャラクターと会話・交流している?
デバイスのデータへの過干渉は危険と判断、外郭部分のデータからモニタリングを続行。
多少のデータ戦闘が行われた形跡、ロスト/意識への影響の心配なし。
日常生活を送っている? 特に4名のキャラクター(?)の存在
あれはどこだ?

     あそこが彼女の望んだ居場所なのか?

彼女は記憶を喪失している。

 データの送受信は問題なし。思い出したくないのか


(以降、何度も書いては消した形跡)





  • 最終更新:2014-12-21 19:36:03

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