厨房と掌破の話

犯人:River

 時刻は午後11時。夜の営業を終えた「お食事処 味噌煮込みうどん」には、先刻までの慌ただしさが嘘だったかのような穏やかな時間が流れていた。経営者の一人である遠啼ひばりもまた、会計の仕事を終えて自室に戻る途中だった。

(・・・厨房に明かりがついている?誰かまだ作業中だったでしょうか。)

 厨房に繋がる扉の前に立つ。

・・・破ァ!破ァ!・・・破ァ!破ァ!

 耳を澄ませば、誰かの声が聞こえる。ひばりは厨房の中を覗きこんだ。

 そして、その光景にひばりは硬直した。

 破壊された作業台。砕け散った調理器具の数々。かまどからは黒々とした煙が蛇のごとくうねり立ち、火にかけられた鍋の中身は、沸騰を通り越しもはや氾濫している。そしてその惨状の中心に立つ一人の男(げしゅにん)。

 濃い灰色の髪。浅黒い肌。目元の泣き黒子。そして彼の最大の特徴である真っ赤な革ジャン。それは紛れもなく味噌煮込みうどんメンバーの一人、ファイト・オーの姿であった。

「おう、社長!おつかれさん。なんだ、会計の仕事はもう済んだのか?」

 こちらに気づいたファイト。その表情はいつも通り。何一つ変わった様子は見られない。

「お疲れ様ですファイトさん。ええ。ええ、はい。そうですね。会計の仕事は終了しました。今日の売り上げは午後からの伸びがよく前日比にして・・・、っていやそうではなくて、一体何なのですかこの惨状は・・・!?厨房が半壊しているではないですか!!?」

「ん?ああ、これなぁ。小腹が減ったからまかないでも、と思ったんだが。なかなかうまく作れなくてな。」

 いやー、まいったまいった、と悪びれる様子もなくのたまうファイト。

「・・・質問します。一体何を、どういう手段で作ろうとすればこんなことになるのですか?
 後学のために教えていただけないでしょうか。」

 ひばりは眼鏡を外し、懐から取り出した眼鏡拭きで拭う。どうかこの光景が見間違いの類であり、眼鏡をかけなおせばきっと元通りの厨房があるのではないか、と現実逃避。

「夜食っつったらやっぱライスボールだろ。食うのは一瞬だけど、作るとなると意外に難しいもんだな、あれ。
 隠し味に掌破を使おうとしたのが失敗だったか。」

 眼鏡をかけなおす。判定、有罪。目標を敵性と認識。レーザー照準固定。エネルギー充填。

「・・・一言言わせていただけますか?」

「なんだ?」

 ひばりの様子にまったく違和感を覚えない、鈍感格闘家。

「・・・おにぎり作るのに掌破を使うな、この掌破バカあああああああ!!!」

 閃光炸裂。かくして、断罪の光は一人の掌破バカを包んでいくのであった。


 片づけにはそこから二時間を要した。すでに自室に戻っている他の三人と一皮を呼ぶのも忍びないという判断からあちこちが焦げているファイトと、冷静さを取り戻したひばりの二人で作業が行われた。

「これで元通り・・・とはいきませんが、明日の営業に支障はないでしょう。次の定休日に業者に来ていただくことにします。
 金輪際、ファイトさんが一人で厨房に入ることを禁じます。いいですね?」

 一日の終わりに思いもよらぬ作業をやらされることになったひばり。その表情からはかなりの疲労と心労が見てとれた。

「悪ぃ、悪ぃ。次からは気を付けるっての。」

「次は、ありません。」

 ひばりは人差し指で眼鏡の位置を調整する。

「・・・・・・はい。」

 さすがにレーザーで全身まんべんなく焦がされたのが答えたのか、ファイトも一応反省の色を示した。

「まったく、なんでもかんでも掌破を使おうとするのはファイトさんの悪癖です。是正を要求します。」

「あー、善処する。」

 味噌煮込みうどんのメンバーのなかでは最も付き合いの長い二人である。きっとこの程度のことでファイトの掌破バカが治ることはないだろうな、とひばりは嘆息する。嘆息するとともに、一つの疑問が生まれた。

「ファイトさんは、」

「ん?」

 蛇口で湿らせたタオルで、焦げた鼻先を冷やすファイト。

「・・・ファイトさんは、何故そこまで掌破に拘るのですか?」

「どうした、いきなり。随分今更な質問じゃねえか。」

「いえ、ふと気になっただけです。そういえば、今まで聞いたことがなかったと思いましたので。」

 確かに、ファイトにとっては自分の代名詞ともいえる掌破ではあったが、それについて味噌煮込みうどんのメンバーと話す機会などなかった。

「俺が掌破を使う理由、か・・・。」

 そもそもファイトは自分の話をしたがらない。それは自分が追われている身であるということもある。しかしそれ以上に、他のメンバーの幾人かが、過去に壮絶な体験をしてきている、という理由が大きい。自分の話をすることで、彼らに好ましくない過去を思い出させることもないだろう、というファイトなりの配慮だった。

「ええ、ファイトさんが優秀な戦士であることは承知しています。頭は・・・お粗末ですが。だから、なおさら不思議なのです。何故、ファイトさんは掌破という、決してポピュラーでない技で戦おうとするのか。」

 ファイトは考え込む。自分が掌破を使う理由は数多くある。しかし、じっとこちらを見つめるひばりの瞳が求めているのは、そのような幾つも列挙できる理由などではない気がした。もっと根源的で唯一の、ファイトの根幹にかかわるものであるように感じた。そう考え、自然、口が開いた。

「・・・恩人が、いたんだ。俺の人生で一番やべえ時に颯爽と現れて、腕っぷしひとつで危険とか事情とか全部なんとかしちまって。
 そいつが掌破使いだった、ってだけの話さ。」

 懐かしむように、ファイトは語る。

「なるほど、ファイトさんはその方に憧れているのですね?」

 ひばりの感想に対し、ファイトから出た言葉は否定のものだった。

「違うな。それは違う。」

「違う?」

「ああ。思い出なんてのは一番最初の着火剤みてえなもんだ。火が燃えるのは、火種があるからじゃねえ、そこに燃料を投じるからだ。
 思い出は結局、過去のもの・・・、」

 ファイトは、己が拳を握りしめて見つめる。

「俺の掌破は俺のもんだ。」

 『思い出は過去のもの』。過去の記憶を失い、自己を失いかけた経験のあるひばりにとってそれは、頷きがたい台詞であった。過去に依存しない彼の生き方が、ひばりには眩しすぎた。だがそれは同時に、救いでもあった。

(ああ、この人は、私がまた『私』を失いそうになっても、きっと私を見つけてくれる・・・。それはなんて―――。)


 話が終わった二人はその場で解散し、それぞれの部屋へ帰っていった。余計な仕事をさせられたはずのひばりだったが、その足取り心なしかいつもより軽かった。


  • 最終更新:2014-11-22 00:53:39

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