不流ノ星

書いたやつ:月実周摩



 星は流れず、さりとて不変にあらず。
 近きに寄りて見れば、魂を焦がし、その身を削る星ひとつ。
 過去を惜しむが如く軌跡を描き、ただひたすらに命を燃やしゆく。




 世界は元通りになった。
 そこには鉄と石で造られた馬鹿でかい建物は存在しない。
 灰色の空は澄み切った青空となり、やたらと遠く感じる。

 だが、『世界が元に戻った』と実感できる存在は多くない。
 人々から草木などのあらゆる生命、大気や気候といった現象に至るまで、あらゆる『モノ』が異常に気がつかなかった。
 何しろ『神様』の決定だ。
 その異常が正常であると判断が下されれば、それが世界のあるべき姿となってしまう。

 半吸血鬼の父と人間の母を持ち、次元時空を超える力を持ち、あらゆる武器を扱う技術を持ち、派手だが不器用な魔術をいくらか扱う魔力を持つ、ヴァンパイアクォーターにして次元渡航人にして殴って殺せるアイドルである暴走女子恒星ポラリス・エイムズが、あろうことか普通の高等学校の運動だけが取り柄の女子高生として生活していても、それは当たり前のことなのである。

「……初めて『神様』が怖いって思ったよ」

 女子高生から女子恒星へ戻ったポラリス・エイムズは純白のカップを両手で包む。
 真っ白な湯気を立てるホットチョコレートからじんわりとした熱が伝わってくる。

「ポラリス様、それは」

 カウンターの向こうで、オーラン・コモデニシスは目を細めた。

「――ううん、分かってる。わたしは『力』が怖かったんだ」

 今でも覚えている。
 神魔霊獣の類が存在しない世界のはずなのに竜人であるオーランを一切の違和感なく受け入れていた。
 彼を竜人だと認識している今でさえ、当時に彼をどう認識していたのか思い出せずにいる。
 それが何より恐ろしい。
 ここまで記憶や認識を差し替え、塗り替える力が恐ろしい。

「……ニールが、あんな力を持っていたのが、怖かったんだ」

 奥歯を噛み締める音が店内に響いた。

「どうしてこうなっちゃったのかな」

 目を伏せ、ホットチョコレートの湯気が立ち上るさまをじっと眺める。
 自分から温かい飲み物を頼んだというのに、一向に口をつける気が起きなかった。

「……それも心当たりがお有りなのでしょう?」

 俯いたままのポラリスは無言のままに頷いた。
 しかし言葉にしたくない。
 そんな思いがポラリスの口を押さえ込んでいる。

 このままではいけない。
 そう思ってホットチョコレートにようやく口をつけたが、

「――ッ!!」

 冷ますことすら忘れていて舌を火傷してしまった。
 カップをソーサーに戻して、手元からやや遠ざけた。

「……わたしが悪いんだよ」

 火傷して逆に吹っ切れたのか、思いのほかすんなりと言葉となった。

「わたしがわがままを言ったから、ニールの世界が壊れた」

「それは……、」

「誤魔化したってしょうがないよ」

 どうしてアヴニールの世界が創られてしまった?
 どうしてアヴニールは別れが辛くなった?
 どうしてアヴニールはみんなと出会ってしまった?

 考えても詮無きことではあるが、ふとした瞬間に頭を過ぎってしまう。
 心がバランスを保てていない。

「全部が全部、ってわけじゃないかもしれない。だけど、間違いなくわたしは罪を犯しているから……」

 ポラリスは深く、深くため息をついた。
 取り返しのつかない過去を思い出して、涙を流していないことがむしろ不思議なくらいに心は荒れている。

「せっかくオーランさんが気づかせてくれたのにね」

 それはアヴニールの誕生日のことである。
 神の務めを果たすためにアヴニールの世界へ戻る日、ポラリスは別れを惜しんだ。
 寂しかったから、離れてほしくないから。

 だというのに、それが三日間という期限付きだったという理由だけで、ポラリスは気持ちを伝えることを躊躇していた。
 気持ちは熱いうちに伝えるべきだと気づかされたばかりなのに。
 その気になればいつでも伝えることができると楽観視していた。

 強いきっかけがなければ、ヒトは容易くその気になどなれないというのに。

「わたしは、」

 その言葉を口にしなければ、ずっとこのままでいられると思ったのだろうか。
 変わらない日常を永遠に享受できると信じていたのだろうか。
 どんな理由だろうと言葉にしなかった時点でそれはポラリスの罪だ。

「わたしは、ずっとニールのことが好きだったのに」

 今更言葉にしても本当に伝えたい相手には伝えられない。
 本当に願った結末には決して辿りつけない。

「たったこれだけの言葉を伝えていれば、こんな結末にはならなかったかもしれないのに!」

 自然と語気が強くなる。

「何があってもわたしは一緒にいるって分かってもらえたかもしれないのに!
 自分だけが犠牲になってわたしの幸せを願わなくても済んだかもしれないのに!!
 ニールに寂しさを感じさせずにいられたかもしれないのに!!!」

 堰を切ったように言葉が流れ出した。
 一言を発するごとに涙も同じく溢れる。

「ずっと……、いっしょにいたかったのに……!」

 固く握り締めた両手に爪が食い込み、血が流れた。
 涙を噛み殺そうとしても嗚咽が止まらない。
 やがて言葉は意味をなくし、嗚咽は慟哭へと変わった。

「……、ポラリス様」

 ホットチョコレートを給仕してからずっと静かに聞いていたオーランが口を開く。

「申し訳ございません。貴方様の涙を止める術を私は存じ上げません」

 ポラリスは顔も上げられなかった。
 涙でくしゃくしゃになった顔を、たとえ相手がオーランだとしても見せたくはなかったから。

「私は一介の料理人です。心を動かすほどの感情や思いを伝えるには料理しかなく、料理が喉を通らないとあれば私には成す術は残されておりません」

「……、っ」

「しかし、貴方様は違います」

「え……?」

「貴方様は自分の気持ちをはっきりと言葉にできます。形となった気持ちを伝えることができます。それは何よりも速く、強く、相手の心に届くのです」

 でも、と言いかけたポラリスの言葉は声にならなかった。

「まだ遅くはありません。決して、遅くはありません」

 オーランはきっぱりと言い切った。
 伊達にポラリスの倍以上を生きてはいない。

「もし貴方様が罪を犯したと考えられるのであれば、『最初の機会』を逃したことこそが罰なのです」

「さい、しょ……?」

「貴方様もアヴニール様も、まだ何も終わっておりません。あるいは始まってすらいません。機会など何度でも訪れます。その時こそ、……今度こそ、想いを言葉にして伝えればよいのです」

 次の機会。
 それがいつ何時訪れるか、ポラリスには分からない。
 少なくとも『未来』であることだけは確かだった。

「……耐えられるかな」

「耐え抜くのですよ。でなければ、未来で待ち続けるアヴニール様が不憫でなりません」

「うん……」

 アヴニールは『待ってる』と言った。
 それはポラリスが必ず未来に辿り付けると信じていたからなのか。
 いや、きっとそうなのだ。

 この出会いを、一期一会になんかしてはならない。

「……サンクス、オーランさん」

 すっかり冷めてしまったカップの中身を一息に乾した。
 冷たくなっても甘さは変わらず口の中を暴れまわるが、ホットチョコレートはやっぱり温かいほうがいい。
 たとえ火傷の恐れがあっても、熱いうちに飲んでしまったほうがいい。

「私めもまた、皆様との再会を待ち侘びる者でございます」

「……また来るよ。世界が分かれても、絶対に探し出すから」

「その時には――」

「――うん。ニールも、一緒に」

 確かな決意を胸に、ポラリスは立ち上がる。
 長いようで短かった『竜の箱庭亭』での時間を噛み締めるように、出入り口へと歩む。

 また訪れるのだ。
 ポラリスは振り返らない。
 背中に未来はないのだから。

「またのお越しをお待ちしております。……いつまでも、お待ちしております」

 名残を惜しむ言葉を背にポラリスは宿の外へと足を踏み出す。
 この瞬間より、ポラリス・エイムズはようやく未来へと歩みだした。





 星は流れず、さりとて不変にあらず。
 夜空にたゆたうその星は、しかし決して狙いを違わず。
 未来に待ちたる希望へとその手を伸ばし、ひたすらに、ただひたすらに歩み続けるのみ。

  • 最終更新:2016-09-27 20:51:38

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