恋とはいかなるものかしら
書いたねこ:桜林囃子
相手は、神、だった。
とある世界の、幼神だった。
見た目は少年とも少女ともつかず、つまりはまあ、子供であった。
少女がその幼神と見えるきっかけになったのは、互いの両親。
神にも親がいた。人間とは言い難がったが。
そしてまた、自分にも親がいた。当たり前のことだが。
互いの両親は何の因果か知り合い、幾ばくかの年月の後に少女と幼神は出会った。
そういう出会いだった。
では、
その別れは。
「――様、アヴニール様」
「……ほへ?」
アヴニールは呼びかけにはっとして、声の主を見た。
「ご、ごめん。オーラン」
「いえ」
緑色の竜人はその目を細めて、少し、笑った。
親ぐるみの付き合いがある男だ。
「私もドルチェには心得がありますが……やはり、好みはお聞きしなければ、と」
「う、うんと、何の話だっけ」
「バースデーケーキですよ、アヴニール様」
――ああ、そうか。
アヴニールは己の『うっかり』を恥じた。
「う、うん……何がいいかな。僕、甘いものは何でも好きだよ」
「何でも、と仰りますか」
ううむと唸り、オーランは顎を撫でた。
「やはり見た目に華やかなものがよろしいかと思います。折角のお祝い事ですし、お呼びしている方々の人数も多い。そうですね、二段、あれば十分でしょう」
「二段?」
「ええ。大きいものに小さいものを乗せるのです。色のついたチョコレートで絵などを描いても派手ですが、やはりここはクリームや果物、マカロンなどで飾りつけた方がいいでしょう」
「……うん?」
失礼、とオーランは礼をした。
「私とした事が、不躾でございました。何よりも、主役のアヴニール様の好みでお決めになるのがよろしいですね」
「僕の好きなもの……」
問われても直ぐには出てこなかった。
生クリームは好きだ。でもチョコレートも好きだし、クリームチーズだって好みだ。
苺も好きだし、オレンジも好きだ。キュウイも、ブルーベリーも、マスカットも、パイナップルも林檎も好きだ。
だが――好きな物を、問われても何も出てこなかった。
これと、選ぶ事が出来なかった。
「……」
「アヴニール様、難しくお考えでは?」
「どう、かなあ……ううん……」
「時間はまだ在ります。何、突飛な物でもお作りいたします、ご安心を」
オーランはもう一度礼をし、自らの仕事に戻った。
洗った食器を拭き、調理台を整える。
どうやら夕食の仕込を始めるらしい。
「そういえば、いつお戻りに?」
「……三日かな」
「おや」
オーランの瞳が見開かれる。
「翌日に戻られるのではないのですか?」
「うん」
「それはお母上が――?」
「ううん、違う。僕が……そうしないと、思ったから」
「なるほど。だから、そんなに浮かない顔をしているのですね」
「……多分」
アヴニールは注文した飲み物を口に含んだ。
ザクロのシロップとソーダを混ぜたもので、鮮やかな赤色が午後の光を通している。
「僕は、今まで誕生日に戻ってたけど」
「ええ」
「別な時期にも戻らなきゃいけないのかもしれなくて……それも今までより、ずっと、長く」
「ええ。可能性はあると思いますよ。貴方様は、世界の要、神なのですから」
「うん」
――生まれた時から、アヴニールは神であった。
全知全能? 絶対の力?
そんな物は持ち合わせてはいない。
しかし間違いなく、アヴニールは神であった。
逆らう事は出来ない、絶対の概念。
「お寂しいのでしょう」
「……うん」
肯定する。
「帰れば皆いるけど……でも、他の場所で会った皆は居ないから」
「そうでしょうとも。貴方様は神ですが、まだ子供でもありますから」
「うん」
否定は出来ない。
まだ子供だ。強くもなく、守られてしまう子供だ。
「当日は盛大にお祝いしましょう。三日間、寂しくないように」
「うん」
不意に、思い出すものがあった。
「あー」
――そうか。
アヴニールは納得する。
詰る所、自分は恐怖を感じている。
いつか会えなくなるのだ。それが早まるのが怖いのだ。
自分はまだここに居ていい。
しかし、いつかは。
「オーラン」
「はい」
「生クリームと苺のケーキがいいな。シンプルでいいんだけど……えっと……苺は真っ赤なやつで、ジャムも入れて、生クリームで、ひらひらとか」
「分かりました。豪華に飾り付けましょう」
オーランは大きく頷いた。
「ビッグなケーキだね」
「そうでしょうとも」
オーランはその長い爪が生えた手で、器用にスケッチブックに絵を描いていた。
二段のケーキだ。
ウェディングケーキと言っても通用するだろう。
『あのレストラン』へ問い合わせれば珍しい材料も揃ったかもしれないが、今回はクライアントの希望で上質の苺さえ取り寄せれば問題なかった。
後は己のセンスと技量が試される。
「ニールの誕生日の?」
「そうです。ケーキが決まって一安心です」
「楽しみ楽しみ! 食事は? コース?」
「スタンディング・ビュッフェにいたします。メインにはタンドリーチキン、魚介のリゾット、クリスピーピザ、を用意いたしまして、サラダは果物を大目にして、ドレッシングはオーロラとベリーと東方仕立てをご用意いたします。スープは温かいコーンと冷たいかぼちゃを」
「お肉足りなくない?」
「では一口ミートパイでも焼きましょうか」
「グッド!」
オーランは「ポラリス様のご意見は参考になります」と頷いた。
「ホワァッツ?」
「アヴニール様と同じ年頃ですから。アヴニール様はあまりあれが食べたい、これが食べたいと言いませんから。今回のメニューも、お母上とお父上の好みを参考にいたしました」
「ああー、なるほど。それは、バットだね」
ポラリスはふうむと唸った。
「ニールと食事してても、いっつもそれだもんね。わたしと一緒とか、おねーちゃんと一緒とか、ファイトと一緒とか!」
「ここでお食事をされても大体季節のおすすめで終わってしまいますね」
「っでしょう?」
彼女はまだまだ幼さの残る横顔に不満を乗せて、足をぷらぷらとさせた。
「オーラン、まだメニューって変えられる?」
「ええ。ただ、出来れば見たことのある品でお願いしたいところですが」
「オーケー! わたし、ニールに好きなもの聞いてくるから!」
ぴょんと椅子から降り、「ご馳走様!」と今飲んでいたグレナデンソーダ――昨日アヴニールが飲んでいたものだ――の代金を机に置き、彼女は『竜の箱庭亭』を飛び出した。
やれやれと思い、しかし、オーランは考え直す。
――このケーキこそ、アヴニールが『望んだ』物なのではないかと。
『選定の剣亭』にアヴニールの姿はなかった。
近くの森に誰かと一緒に出かけて行ったそうな。
「誰か?」
それはポラリスの思いもよらない事実だった。
――アヴニールは人見知りをする。
最初は今の仲間達とだって目を合わせなかったわけで。
だというのに、誰と?
ポラリスは我知らず走っていた。
森、森、とは。
おそらく、『選定の剣亭』の裏手から行った、川のある森だ。
広くはない、直ぐ見つかるだろう。
兎のように駆け、とにかく目指し、探した。
――二十分も探しただろうか。
「……ん!」
その姿を見間違えようもない。
川の向こう側。
木々の間、零れ落ちる光の中で何かを探しているアヴニールの姿が合った。
「あっ」
しかし、
「え、あ……?」
声をかけることは出来なかった。
傍らに、ソレが居た。
背の高い男。
穏やかに、しかし油断なく辺りを伺いながら、アヴニールの傍に控える、ソレは人間ではなかった。
強大な力を内包するその男は、ポラリスがもう一歩近づけばこちらに気づくだろう。
川を越えれば、こちらに敵意を向けるに違いない。
そんな男に、アヴニールは笑いかける。
目を見て。
否、目を合わせて。
――聞いた事がある。
アヴニールの力の源は二つの瞳であると。
力のコントロールが出来ない未熟な神は、長時間誰かを見つめる事が出来ないのだと。
だというのに今この男は、真正面からアヴニールの瞳に見つめられて微動だにしない。
それはつまり、『同族』であることを示していた。
アヴニールは何事か男に告げ、木漏れ日の中に一人駆け出していった。
長身の男は困ったように頭の後ろをかき、そして、こちらを見た。
アザミのような、鮮やかな赤紫色の瞳。
「誰だ」
低い声に、ポラリスは身構えた。
だが、男は両手を上げ「殺意はねぇよ」と苦く笑う。
「誰だ、お嬢ちゃん。この世界の子か」
「この世界」
その単語は、彼が異世界からの来訪者だという事を強く裏付けた。
「アイム、ポラリス。フー・アー・ユゥ?」
「シューウィ」
彼は偽りなく答えた。それがポラリスにもはっきりと分かった。
伊達にここまで生きていない。
「お嬢ちゃん、アヴニールのお友達のポーラちゃんか?」
「……そう」
「なるほど。話に聞いていた通りだ、安心したぜ」
彼は両腕を下げ、「しかし、ここは通せないな」と表情を変えた。
「ホワット?」
「誰も通すなと俺の主からの命令さ」
「主? ……、まさか!」
「聡い。それは、嫌いじゃねぇな」
シューウィは一歩、ポラリスに近づく。
思わず、ポラリスは一歩下がった。
――相手の力が怖いのではない。
相手の『持っているもの』が、恐ろしい。
シューウィと名乗った『アヴニールの従者』が取り出したのは、短いナイフだった。
その柄には、二つの月が背中合わせになった紋章が刻まれている。
長身の男が振り回すには頼りなく思える、それ。
だが、ポラリスの『四分の一』をざわめかせるには十分な効力を発揮していた。
「聞いていた通りだ、安心したぜ」
シューウィはそう、繰り返した。
彼はポラリスを分かっていながら、そのナイフを取り出したのだ。
「殺す気はねぇ。ただ、そう……少しあいつに時間をくれ。その為になら、こいつを使う」
「……」
「ポーラちゃん、返事は?」
「……聞きたい、ことがあるの」
「どうぞ」
「何で、あなたが、ここに?」
「迎えに来た」
「……!」
己の内が騒ぐ。
「どういう、こと」
「誕生日パーティ、あるだろ?」
「……うん」
「あの後、アヴニールは世界に戻る」
「えっ」
「……知らなかったのか。まあ、言い出せなかったんだろうなあ」
シューウィは額に手をつき、大きく溜息をついた。
「毎年の話だよ。誕生日って決めてるんだ」
「どうして」
「どうしてって……神が居ないとあの世界は保てない。だから、戻るのさ。そして、」
「そうじゃなくて!」
声を荒げる。
「何で、それを、言ってくれなかったのか、ってこと!」
「知るかよ」
シューウィは冷たく突き放した。
「あいつの性格は、ポーラちゃんもよーく知ってるんじゃねぇか?」
「……知らない。そんなの、知らない」
「そうか? アヴニールはポーラちゃんのことをよく話すからな。知ってるよ、俺は」
「……っ!」
言葉を投げつける事が出来なかった。
「――あんたにポーラって呼ばれる筋合い、ないんだから!」
それだけ投げつけて、ポラリスは来た道を戻る。
――ニールは帰ってしまうんだ。
その事実が、あまりに突然で――そして、自分だけ知らなかったのだろうと思うと、あまりに悲しかった。
戻ってきてからポラリスの様子がおかしく、仕方なく、オーランは彼女の為に一部屋貸す事にした。
彼女はベッドにうつ伏せに寝転んで何も言わない。
泣いているわけではなさそうだ。
「ポラリス様。いかがいたしましたか」
「……そうだね」
「ミートパイに使うスパイスの味見をしていただこうかと思ったのですが」
「……そうだね」
「聞こえてませんかね」
「……そうだね」
「グラタンにかかっている白いものは」
「……ソースだね」
「油脂を使って素材を炒める手法は」
「……ソテーだね」
「聞こえてますね」
「……そうだね」
まったくもって不毛な会話だった。
ここはもっと彼女の心を解きほぐす様な手段を試みなければならない。
丁度、卵を解す様に。
厨房に入り、宿所属の冒険者達の食事を作りながら、オーランは一品作り上げた。
それを運び、ポラリスの部屋の扉を開ける。
「ポラリス様、お食事をお持ちいたしました」
「……」
彼女はゆるゆると顔をあげ、匂いに顔を綻ばせた。
「美味しそう」
「中華丼です」
「チューカドン?」
「ええ。私が修行した店で出されていた、異世界の料理です」
中身は、人参、白菜、筍、玉葱、肉、小さな茹で卵。
それがあんかけになって、ほかほかの白米の上にかかっている。
「スプーンをどうぞ。熱いのでお気をつけて」
「……」
一口、冷まして口に含む。
鶏がらの味を強く感じた。そのわりに具の味はあっさりとしていて、火の通りが絶妙なのか野菜はしゃきしゃきとしていた。
小さな卵を割って食べると、味がよりまろやかになる。
肉には下味がしっかりついている様で、餡に絡めて食べると米がよくすすんだ。
「中華丼に限りませんが、」
オーランは言葉を紡ぐ。
「素材っていうのは、それ一つではただの食物なのですよ。しかし、そこに別な素材と手間が加わって料理が出来る」
「う、うん」
「その料理は結局、餡によって一つに纏まっているに過ぎない、とお思いになりますでしょうか。しかし、本当はそれぞれの素材のいいところと悪いところが見極められて、一緒に適切な調理された事によって名前のついた料理になっているのだと、私は思うのです」
「うん。何となく分かる」
「ですから、ポラリス様。どうか、この白菜めに、お心をお話くださいませんか」
「……え、ええっ」
ポラリスは空になった食器を置き、「白菜、白菜かなあ……何かっていうと、ピーマンが近いような気がするなあ……」と呟きながら、ぽつりと話し始めた。
「ニールって、神様だったんだなって」
「そうでしょう」
「分かってたつもりだけど、分かってなかった。自分の世界があって、いつか、帰っちゃうんだなあって」
「ええ、そうですね」
「今日、従者って人に会ったよ。怖い人じゃなかったけど、ニールのためなら何でもするって人だったな……それくらい、ニールって凄い神様なんだね」
「いいえ、大事なんですよ」
オーランの訂正にポラリスは小さく首を傾げる。
「私だって、アヴニール様、もちろんポラリス様だって大事な方です。もし何かあれば、怒りもしますし、憎みもします。ポラリス様だって、そんな大事な方々がいらっしゃるでしょう?」
「う、うん」
「一緒ですよ、誰であっても」
中華丼が乗っていた皿を手に取る。
「この料理のように、人は良いも悪いも分かりあって、一緒になる。その餡は『大事』という気持ちだけだと思いますよ」
おやすみなさい、良い夢をと告げて、オーランは厨房に戻った。
――わたしはニールをどう思っているのか。
簡単だ。
帰って欲しくないのだ。
ずっと一緒にいるものだと思って、そう、このまま二人で大きくなっていくものだと、漠然と考えていたのだ。
私達は子供で、しかし、アヴニールは神だった。
アヴニールを必要としている世界があって、必要としている人がいて、彼はそれに答える責務がある。
分かっている。
帰らないでというのは、我侭なのだ。
ただただ寂しいだけなのだ。
――では、ニールは?
わたしのことをどう思っているだろう。
どうでもいいのだろうか。
友達の一人として、普通にさよならなのだろうか。
それは、ちょっと、寂しい。
「アヴニール」
懐かしい声だ。
暫らく聞いていなかった、父親の声だ。
「お前は、人間じゃない」
――そんなこと、生まれた時から知っていたよ。
「お前は肉を持つ神だが、その姿は俺とあいつの最愛の子供という概念でしかない。分かるな」
――分かるよ、父様。
「俺と、あいつから生まれたお前は万能じゃないし、完全でもない。そんなもの、つまらないだけだ」
――完全が、つまらない?
「そうだ。悩み、苦しみ、そして愛してみろ。それでいい。きっと、な」
――分からないな。
「そう悩むな。望むままにしろ。その結果、嫌われても仕方ないじゃないか。やりたいようにやって駄目ならそれまでさ」
――そっかあ。
アヴニールは見開いていた目を伏せた。
父親はいない。
今この自分に部屋には己しかいないのだ。
父親は誕生日当日、母親と一緒に来てくれる。
それまでは、まだ、離れたままだ。
時にこうして話すのは自分には簡単でも、魔力がそんなに強くない父親にはとても辛い事なのだと思う。
それでも自分を心配して話してくれる。
「……ポーラちゃん喜んでくれるかな」
誕生日会当日、『竜の箱庭亭』にはポラリスが見たことのある人ない人様々集まっていた。
結局彼女は、何かと理由をつけて一人になることにした。
具体的には、オーランの傍、厨房の中だ。
「お行儀が悪いですよ、ポラリス様」
オーランは食事を作りながら、彼女を小声で嗜める。
「オーラン、次の料理、ハリーハリーハリー!」
「ピザが焼きあがりますね」
「グッド! 三切れ残しておいて!」
「仕方のないお客様だ」
そう言いながらも、オーランはしっかりと、焼きあがったピザからポラリスの分を残しておいてくれた。
熱々のそれを一枚頬張りながら、ちらり調理台の陰からパーティを覗く。
――ニールのパパとママだ。
どちらかと言えばこの会はアヴニールのためというよりも、その成長を喜んだ周りの大人達のためにあるような印象を受けた。
――ニールのパパもママも前に見た時となんら変わりない。
ポラリスはほんの少し身を乗り出す。
――ニールはパパにもママにも似てない。
雰囲気は辛うじて少し、父親に似ている。でも、髪の色は母親の『本当』とそっくり。
でもそれ以外に、目も、鼻も、口も、頬も、全然似ていない。
「そういえば、パパとママに会った時、私とそっくりだったから驚いてたっけ……」
ポラリスは両親にそっくりだ。
だからこそ、アヴニールは少し、羨ましがった。
「アヴニール様は概念ですからね。お二人の子供、という」
「……パードゥン?」
「ですから、あのお姿は結局、ご両親からアヴニール様が想像してお作りになられたものでしかない、ということですね」
「そうなんだ……」
「ええ、ですから、」
オーランは、喉の奥で笑う。
「ある日突然、ポラリス様の前に青年のお姿で現れてもおかしくない、ということになります」
「ホワッツ!? 何で!?」
「アヴニール様ご自身が『まだ子供である』という概念である以上、見た目もそれについて周ります。しかし、いつかご自信に変化が現れれば、あるいは、と」
「……!!!!」
衝撃的な話であった。
おそらくこれは、アヴニールも自覚のない話なのだろう。
会えなくなるどころか、知らないうちに姿形まで変わってしまう可能性もあるのだ。
そんなショックを受けてしまったポラリスに、オーランはぽつりと呟く。
「私はピザを熱々のままご提供する事に喜びを感じます。ピザは熱い方が美味ですから」
「う、うん。うん?」
「気持ちもご一緒かと。熱いままの方が、相手は喜びます。しかし、同時に火傷の可能性もある。でもやはり、出来立てには出来立てにしかない味があると思いますよ」
「……」
いろんなことを知った。知りすぎたくらいだ。
でも、それはかえってポラリスの思考を一点に向けた。
――そうか。
うじうじするのは止めだ。
――私は、いつだってそのままぶつかっていったじゃないか。
「オーラン、ニールは?」
「そういえば見当たりませんね」
「んと、あの従者の人は?」
「居ますよ。お父上の傍におります」
「じゃあ、何処行っちゃったんだろ……」
一人でどこかに行くような性格には思えないのだが。
「最初のご挨拶にはいらっしゃいましたね」
「うん、見てたよ」
「その後、食事が始まって……ああ、この時にはもう居ませんでしたね」
「はやっ!? ご飯食べてないんじゃないかな?」
「それはもちろん」
オーランが顎で指し示したのは、ポラリスの為に取って置かれている食事を指した。
「お二人の分ですから」
「……サンクス!」
「いえいえ」
ポラリスはこっそり厨房を抜け出す。
――この会場から遠く離れる、ということはないはず。
そう考えれば、二階の部屋にいるのだろう。
「……オゥ」
なるほど、ポラリスは理解した。
あの従者の男が立っているのは、階段の前ではないか!
しかし、ここで引いては『わたし』が廃る。
父親譲りの勇敢さと母親譲りの勇気を出して、ポラリスは階段に近寄った。
――予想通り、従者はその薊色の目を彼女に向けた。
「なぁんだ、来てたのか、お嬢ちゃん」
「ニールは?」
「二階にいるぜ。一番奥の部屋だ」
「ふうん?」
ついと足を階段に向ける。
従者は動かなかった。
「わたし、行っちゃうけど?」
「止められてねぇ。俺はここで飲み食いしてるだけだ」
なるほど、顔に似合わず忠実であった。
「静かにしてやれよ。まだ、作業中かも知れねぇからな」
「……うん?」
「いいから。静かに、な。作業が終わってるようだったら声をかけろ」
「……」
意味は分からなかったが、ポラリスは何となく従った方がいい気がして頷いていた。
階段を上がる。
途中で一度振り返ると、従者は既にそこに居なかった。
聞こえてきたのは歌であった。
小声であったが、聴いたことのない言語であった。
――異世界の古い言葉だ。
ポラリスは己の経験からその答えを導き出す。
アヴニールの声だというのは分かっていたのに、理解が追いつかない。
蚕の繭を解いて、生地を編み上げていくような。
春の日差しに溶けていく、湖の薄氷のような。
ポラリスは一番奥の部屋をこっそりと覗いた。
――アヴニールは、陽の光に何かを掲げて、くるくると歌いながら踊っていた。
初めて見る、アヴニールの『神の力』であった。
それまでは『彼』の力の一片しか見ていないのだ。
しかし、ここで行われている『儀式』は間違いなく、人には顕現しえないものだということを肌で感じていた。
その二つの瞳が――今なら、見つめても何もないと確信できた――宝石のように外の光を反射している。
声の抑揚がやがて収束し、声が穏やかに小さくなり、アヴニールのステップが止まった事でその終了を悟った。
「……ふふっ」
『彼』は満足そうに笑って、手にしていた物を抱きしめた。
さて、いつ声をかけたものかと思っていると、先に動いたのはアヴニールだった。
二人はうっかり、数秒見つめ合った。
「……うわああああああああああああああ!」
アヴニールは飛び上がって――文字通り空間を飛んで――天井に張り付いた。
「ポ、ポ、ポーラちゃん!? いつからそこに!!」
「え、ええっと……今来たとこ!」
「ほんと!? ほんとかな!?」
「ほんとほんと!!」
「ほんとかな!?」
「ザッツライト! ポラリス、うそつかない!」
などとひとしきり言い合い、二人は何とか落ち着いた。
「……ねぇ、ニール」
「うん?」
「オ、オーランがね、ご飯残しておいてくれてるって!」
「うん、ありがとう。お腹好いちゃった」
「……」
「……」
言い出しにくかった。
それはどうやらアヴニールも同じようで、顔を真っ赤にしてもじもじしている。
――これは、わたしから言わないとニールはずっと黙ったままだ。
ポラリスは決心する。
「あ、あの」
「うん?」
「……ニール、帰っちゃうんでしょう?」
「うん」
「……さ、寂しいな」
「え?」
「帰っちゃうの、寂しいな、って」
「……僕も、寂しいって、思うよ」
「えっ」
意外な答えであった。
きっとアヴニールはこの別れを『当たり前』として感じていると思っていたから。
「今までは、あんまり、人と関わってこなかったから……でも今回は、違うから」
彼は少し頬を上げて笑った。
「やっぱり、寂しいな」
「……そう。そっか」
「うん。だから――」
『彼』が持っていた物をポラリスへと差し出す。
それは白い花と細い緑の茎で編まれた花冠であった。
「これを」
「わたしに?」
「そう。僕が寂しく思う気持ちを、ポーラちゃんが寂しく思ってくれる気持ちで編んだんだ」
「……」
恐る恐るそれを手に取る。
――魔法がかかっているのは一目で分かった。
アヴニールの魔法。それは異世界の法だ。
「ありがとう」
ようやくそこで、ポラリスは満面の笑みを浮かべた。
「これ、ニールだと思って、過ごすね」
「うん! あ、つけてあげるよ」
そう言うと、ニールはその花冠をポラリスの頭に乗せる。
「……!」
そのニールの顔が。
今までに見たことのない、少し、大人びたそれが。
凄く近くにあって。
「……いいよ。どうかな?」
「はひ!」
飛び上がり、頭上を確かめる。
「に、似合う?」
「似合うよ!」
「あ、あ、ありがと……!」
顔が熱い。
『柄にもなく』はしゃいでしまっている。
「枯れないようになってるんだ。だから、三日といわず、つけてくれると嬉しいな」
「うん! ……ん? 三日?」
「うん、三日。三日もあったら、枯れちゃうでしょ?」
「ウェイト……ウェイト、ニール。三日? 三日で……帰ってくるの?」
「うん」
「……」
ポラリスは声を上げて笑い出す。
――拍子抜けだったし、安心した。
まだ私達には、時間が残されている。
そう思うと、嬉しくて笑わずにはいられなかった。
取り分けておいた食事がすっかり空になっているのを見て、オーランは満足げに頷いた。
「お気に召したようで何よりです」
「うん」
アヴニールは笑う。
「ピザ、美味しかったな」
「さようですか」
「うん。チーズ、もっと多くてもいいかな」
「それはそれは。畏まりました、覚えておきましょう」
何やらオーランの感動のツボを抑えたようだ。
アヴニールは立ち上がり、「じゃあ」と隣のポラリスに頷く。
「もう行くね」
「うん」
『たった』三日間の帰郷だ。
もうそんなに寂しくない。
ポラリスは待っていてくれるし、自分はここに戻りたいと願っている。
それで十分だ。
「シュウ」
傍らに呼びかければ、実体を隠していた従者が現れる。
「出発していいのか」
「うん。行こう」
「仰せのままに」
長身の従者は跪き、アヴニールの白い手の甲に口付けた。
とたん、『竜の箱庭亭』に異世界の魔力が流れ込む。
――まだ一人では世界を渡れない故に、彼の力が必要なのだ。
帰郷の導が必要なのだ。
帰り道を照らす、明るい導が。
「それじゃ、またね」
アヴニールは笑いかけ、世界線を跳躍する。
「あのさ、アヴニール。お前の好みをどうこう言いたいわけじゃないが――」
その中で、シューウィの声が聞こえた。
「何で、苺のケーキだったんだ?」
「ええっと……」
気恥ずかしかったが、隠す事もない。
「白と赤が、ポーラちゃんみたいでしょ?」
END...?
- 最終更新:2016-09-10 14:51:15